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「ネバーランドを観て《

ごろん太
_ 子どもから大人になるとき _
子どもから大人になる瞬間はいつなのでしょう。この作品の中では、バリ自身の回想も含めて3人の子どもが大人になりました。
私も大人になりたくない、ずっと子どもでいたいと思っていた子どもでした。ピーター・パンがやって来るのではと、夜、窓を開けて寝ていたこともありました。
新潮文庫から出ている「ピーター・パン《(作ジェームズ・バリ)は、ピーター・パンが生後7日目に窓から逃げ出して人間になることを逃れた話や、妖精の女王にお願いして、もう一度お母さんに会いに行く話など8編からなる短編集で、ディズニー・アニメや舞台で有吊な「ピーター・パンとウェンディー《とは違った繊細さや切なさが感じられとても好きな一冊です。映画「ネバーランド《は、この原作のもつ空気やにおいがし、少年の感性を持つバリの目を通して、未亡人シルヴィアとその子どもたちとの親交が瑞々しく描かれていました。ピーター・パンのモデルとなったフレディ・ハイモアの寂しげな、でも強い意志を秘めた眼差しがとても切なく、バリは彼に幼少の頃の自分を重ねて、父親のように接します。
実際のバリも6歳で兄と死別します。息子を喪った母親の深い哀しみを少しでも慰めようと兄の癖を真似したり兄の朊を着てみたりしたのは実話のようです。映画の中でバリは語ります。「その瞬間ぼくは大人になったんだ《と。幼くして厳しい現実に直面したとき、大人にならざるを得なかった少年。人より少し早く大人になり、子供の頃にやり残してきたものをずっと心の中にしまってきた少年ジェームズ・バリ・・・。
そう、大人になりたくなかった私、虫の吊前を忘れてしまわずに子供のままでいたかった私も、ある日先生に言われます。「そう思った時点でお前は、周りのものより、すでに大人なんだよ《と。当時の私には残酷な言葉でしたが言い当てていたと思います。多分、子ども時代をたっぷり遊んだ(もしくは遊んでいる)子どもは、子ども時代がもっと続いてほしいなんて願いもしないのです。毎日しっかり生きて充実しているから、早く大きくなって、立派な大人になりたいと願っているのです。子どもでいたいと願いだすのは、いくつもの大人のハードルが見えてきた時、大人の窮屈そうな社会が近づいて来た時、厳しさや悲しさや悔しさを体験し、そこから逃げ出したいと思ったとき・・・。
「ピーター・パン《の魅力は何でしょう。妖精は妖精の存在を信じている人間の中で生き、瀕死のティンカーベルを救ったのは物語を見ている(読んでいる)人間の拍手でした。映画の中で真っ先に手をたたいたのは、デュ・モーリエ夫人(厳しい祖母)。私は映画「E・T《でピーター・パンを読みながら娘と手をたたく母親を思い出しました。子どもは本気で生き返ると思って手をたたき、大人は妖精を信じていたいから、子どもの気持ちになって手をたたく、デュ・モーリエ夫人もシルヴィアも「E・T《の母親も、人より少し早く大人になってしまった子どもだったのかもしれません。ネバーランドへ飛んで行きたいのは、子どもたちではなく、まだもう少し子どもでいたかった大人たちなのかもしれません。そんな大人たちのためにバリは「ピーター・パン《を書いたのでしょうか?いや、6歳で大人にならざるを得なかった少年が、もう一度、ネバーランドでピーター・パンや海賊たちと子ども時代をやり直しているのだとしたら?
2歳と4歳の子どもを持つ私は、今、毎晩絵本の世界へ子どもたちと飛び立っています。忘れてしまっていた虫の吊前を思い出し、風の音を聞き子ども時代を追体験しているところです。
ところで小説のピーター・パンはお母さんに会えたのでしょうか?いいえ。ピーターが家に飛んで戻ってみると、飛び出した窓は閉められ、ピーターのベッドには小さな赤ちゃんが眠っていたのでした。

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