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『海は見ていた』

春声@
『海は見ていた』 2002年 製作:「海は見ていた」製作委員会
配給:ソニー・ピクチャーズ/日活
監督:熊井啓 脚本:黒澤明 原作:山本周五郎「なんの花か薫る」「つゆのひぬま」
美術:木村威夫 音楽:松村禎三 撮影:奥原一男 衣装:黒澤和子
出演:清水美砂 遠野凪子 永瀬正敏 吉岡秀隆 石橋蓮司 奥田瑛二

2001-05-12 佐賀県伊万里特別先行上映会 伊万里市民会館にて
日活創立90周年記念映画にもなっているようでした。
黒澤明、最初で最後のラブ・ストーリーというフレーズもチラシには。 舞台挨拶の黒澤久雄氏は『七人の侍』の中でさえもエピソードとしては、木村功と 津島惠子の恋愛が描かれたケースはあると言ってあった。 本来なら黒澤明31作目の映画になるところの『海は見ていた』。 黒澤記念館となっている伊万里のサテライト・スタジオにはそのシナリオや絵コンテ が展示されていました。福岡からバスツアーも仕立てられるという今回の先行上映。 期待度充分。新聞で上映情報を知り、さそってくれた友人に感謝。
熊井啓監督は『日本の黒い夏・冤罪』での松本サリン事件の印象が強かったので、今 度の映画では切なくやるせない男女関係、また下町的感覚のタッチを非常に強く印象づけられた。 随分達者な監督さんなんですね。あらためて黒澤明の脚本にも、熊井監督の手腕にも敬服。 チラシに載っている熊井啓の言葉をひかせてもらいますならば「“いき”とは、権力 に反発する市民意識の表れ、いわゆる庶民のダンディズムと解釈するならば、私が映 画化しても黒澤氏の描こうとしたテーマに通じるに違いない“」と。 これはまず、もろに山本周五郎の世界でもあるのですね。原作は未読ですが。
江戸深川の岡場所に展開されるはなし、雷鳴と嵐が襲い大洪水に家屋も倒壊、流出と いう天変地異もあったり。その中で繰り広げられる町民、私娼、武士の物語。 女優清水美砂が娼婦菊之の役を。いいですねえ。きりっとした感じもあって。 役としてはヒロインの背後に位置する設定なのに、このはなし、この描写では存在感 が圧倒的。ラスト近くの屋根の上に立ち上がって若い二人を叱咤する様子など、すこ ぶるいいです。『うなぎ』などにも出演している人なんですね。 表情硬く押し通す永瀬正敏もなかなか適役ですし、”どどいつ”かなにかよく知りま せんが、職人が口ずさんだり、路地や座敷でふざけて踊るそんな仕草に思わずこちら も、いつのまにか“乗せられてしまう”そんな感じの映画で、エンドマークあたり見 ていたこのおじさん、涙でクシャクシャ。すっきりと一路福岡に帰る事が出来ました。 熊井啓、清水美砂さんを盛り立てたすべてのみなさんの快挙。 「黒澤明はそれを見ていた」でしょう!

『青い山脈・続青い山脈』

春声@
『青い山脈・続青い山脈』1949年 東宝 前編/新子の巻92mins.続編91mins.モノクロ
監督:今井正 原作:石坂洋次郎 脚本:今井正・井手俊郎
音楽:服部良一 出演:原節子 木暮実千代 池部良 伊豆肇 竜崎一郎
若山セツ子 立花善枝 山本和子 杉葉子
福岡市総合図書館映像ホール・シネラ 2002年5月2日〜12日今井正監督特集5作品:
『青い山脈・続青い山脈』1949、『また逢う日まで』1950、『ひめゆりの塔』1953、
『ここに泉あり』1955> 『真昼の暗黒』1956 にて。
今回上映の『青い山脈』が封切られた前年、昭和23年には解雇通告1200名に反対 する東宝争議が始まった年として重要な年。『青い山脈』朝日新聞連載の人気小説の 映画化に他社と競ったすえ東宝が獲得、今井監督が撮りあげたもの。
戦後の民主的風潮を描いた映画の中で興行的にも最も成功した。 農村の封建的秩風土、男女の意識改革などが、若い女教師、旧制女学校の生徒た ち、地元の青年たちをめぐる騒動の中で、啓蒙的な方向をもってなおかつスムーズに 描出されています。
気恥ずかしかさとか、しらじらしさを感じません。今井正はこの映画の成功により 翌年の『また逢う日まで』を撮ったあと、フリーになることが出来たそうです。 東映での『ひめゆりの塔』をはさみ、独立プロで作られた『ここに泉あり』、『真 昼の暗黒』へと続く7年間から選ばれた5本のフィルム上映中、今日私は一番古い 「青い山脈」を目指しました。
杉葉子の清新さと、のびやかなムード以外、ストーリーはすっかり忘れてしまって いたので懐かしい想いでした。女学生同士の姑息な罠にはまってしまう女学生を杉葉 子が、彼女に同情し、生徒たち、旧弊な学校、村のあり方を変えていこうとする明晰 な教師役を原節子。 この二人日本映画の良き伝統、女優の系譜の見本みたいなものだとあらためて感じま す。杉葉子は東宝ニューフェイス二期生、審査の結果、新子役に。
“当時、水着姿は珍しく、特別注文の身体にピッタリくる水着で、色は肌色、白黒映 画でしょ、スチールによってはヌードっぽく見えるのでポスターが次々と盗まれたら しいんです。監督にキャサリン・ヘップバーンみたいな個性の強い女優になりなさい って言われました。当時東宝争議中で皆でいい映画作ろうと仲間意識に燃えていまし て、ロケ先の伊豆で監督をはじめ皆でワイワイ。あの日がなつかしい。” 後年の取材でその杉葉子が語った、そんな日から50年以上もたった今でも充分に 観賞の意義があり、かつ魅力的な映画だと私は思います。
こういう映画を観賞できる施設があって、今回この映画が4回上映されたうち私が 観たのは平日2時の回で年配者が殆ど。あと2回は土曜日3時から。若い年齢層は観 にいっているのでしょうか、映画ファンとしては統計が気になります。 ノスタルジーの世界だけに閉じ込められずに、映画のもつ大衆性を活かす手立ては ないかなあと思います。時代が時代ですから、戦後は遠くなり終わっていくだけでしょうか。
年齢に関わらず人はそれぞれに指向する分野が異なるという前提があるんですね。 たとえ同じ方向に向うにせよ、それぞれの想い、受け取り方が異なるのは予想され ます。逆にその異なる点を聞いたり話したりしてみたい。 一時の皮相的な感覚的雑談に終始しても別に悪くはないでしょう。
‘父も夢見た母も見た 旅路の果ての その涯ての 青い山脈 みどりの谷へ 旅をゆく 若いわれらに 鐘が鳴る‘
西条八十作詞:服部良一作曲”青い山脈 ”

『落穂拾い』

春声@
『落穂拾い』Les Glaneurs et La Glaneuse 2000年フランス カラー 82mins
配給サジフィルムズ アニエス・ヴァルダ監督 ドキュメンタリー
2002/05/06 シネリーブル博多駅
女性監督A・ヴァルダは“想像力の力量とは現実の中に非現実を、非現実の中に現 実を見ること“という主張を持っている監督らしいです。 この映画では田園の“落穂・収穫後の残りの果樹・農作物”を拾う男女を、都会の 中の“残滓・廃棄物”を拾い集める男女を追ってカメラに記録しています。
さて観る方の私なんですが、“そういう現実の中にどういった類の非現実をみてと れば、想像力の力量”の有無を問われるのでしょう? A・ヴァルダ監督からは、問われてみたいのですが−−。 これを観終わった私は“自分は想像力を有する力量を殆ど有していない”としか、 残念ながら思えません。ものを拾う人間の姿をフランス映画の中で観ただけという結果に終わりそうです。
収穫が終わった林檎園に摘み残された林檎を求めて近郊の男女がそれを採っていく 描写があります。それは“それだけのことではないか”と思ってしまうのです。 これは別に説明不要です。単にそういう映画なのでしょうか、この映画は?
監督はこの記録映画を作る過程の中で、町で捨てられた野菜を拾っては食べている 一人の男に出会い、取材した結果、彼が字の読めない外国人にボランティアで字の 読み書きを教えている様子に出くわします。 映画を観賞している私にもそれはちょっとした面白い場面ではあります。 監督にとって少なからずそうであったようです。
もうひとつ、長らくヴァルダ監督は彼女が見たいと思っていた“嵐を避ける落穂拾 い”という絵画を、初期の目的どおり、とある美術館にて邂逅し見せてもらう場面 をラスト近くで描写します。 ヴァルダは、この感動を言いたいがためだけにこれまでこの長い記録映画を作って きたのかなと思わせるようなそれは微笑ましい描写ではありました。
捨てられるものがすごく多い現代の社会生活にあって普段見過ごされている“落 穂”に焦点をあてたという点には、なにかもう少し深遠な意味合いが含まれている のかなあ――と思うのですが。 どうやら私、アニエス・ヴァルダ監督にはもう少し“説明してほしい”と考えるほ うの、きわめて“想像力の欠如した”人間のようです。
作品暦に『幸福』と『冬の旅』があり、この2本は特に説明は不要なほど“観ただ けで感動した”記憶がある一方、『5時から7時までのクレオ』、『歌う女、歌わな い女』、『カンフー・マスター』、『百一夜』、『落穂拾い』などには“説明がほ しい”と思ってしまいます。

『GO』

春声@
『GO』2001年 日本 GO製作委員会・東映 カラー 127mins 原作:金城一紀
監督:行定勲 出演:窪塚洋介 柴咲コウ 大竹しのぶ 山崎努
2002.04.20 大牟田市文化会館ホール ”Strangelove”上映会にて。
映画全体を通じるシャープな感覚が、喜劇タッチでまるくソフトに笑える映画より、 ”格好いい感覚”とか”鋭い感覚”のほうを好む自分の傾向にとっては、ナイスでし た。この映画、劇画の世界みたいともいえるほど、主人公の青年は強い男です。 そういう強さを持った韓国籍の青年のおはなしです。俳優の窪塚洋介、柴咲コウ等始 めて見る人だし、”世代は次に受け継がれている”との感を深くしました。   
大竹しのぶ、山崎努のラインでもって、ヤングとの調和もとれていました。
よく使われる”在日韓国人”という言葉使いの中の”在日”に”いつかは日本からい なくなる存在としての韓国人なのか?”といって反感を表明する主人公(窪塚)の主 張がありましたが、自分としては初めて聞く意見でしたし、新鮮に、また大きな示唆 として受け取れました。
父親(山崎努)がもとボクサーという設定で派手なアクションのシーンも盛沢山。 これに織り込んで、日本と朝鮮半島の民族問題という重要かつ真面目なアプローチが してあります。”映画の面白さ”と”映画の中で教えられる部分”が見事に結実して いたように思いました。窪塚青年の友達を演じる日本人の女の子(柴咲コウ)との描 写では、似たような設定を過去に映画で観たような気がするのですが、この映画の場 合、きっちり落着させてあったように感じました。さわやかな感じが私にはしました。
他の人物像として地下鉄で刺される青年がいます。秀才タイプ。彼のものの考え方、 行動のしかたにも共感。類型的だといって片付ける気持ちは、ありません。 韓国映画『友へ チング』の4人の青年群像の中にもこれに似た秀才タイプが出てき ますが、ドラマ進行上、扱いやすいタイプなのでしょう。
原作は第123回直木賞受賞作。
『まぶだち』『友へ チング』『GO』と3本、ここのところ映画の中で若い人たちと よく”つきあう”最近だなあと感慨が深いです。

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