【 10へ 】
『高倉健と日本映画 』
- 佐藤忠男氏の講演より -
うさちゃ
シネラの高倉健特集の佐藤忠男さんの講演「高倉健と日本映画」を聴いてきました。
私がまず興味をひかれたのは、日本と西洋の映画の中で描かれるヒーローは、恋愛において女性に対する態度がまったく違うことです。
西洋の映画に描かれる伝統的な騎士道物語のヒーローは、王様のお后と恋に落ちて、王様への忠誠より彼女への愛を選び、王様と対立して最終的には彼女を手に入れるのです。しかし、日本映画で描かれるヒーローは、義理人情に厚くて、黙って自分のやるべきことをやり、いざというときには頼りがいのある高倉健のような人物だけど、女性を口説くことは苦手です。恋愛においては不器用な人物なのです。
つまり、日本文化においては、ヒーローは女性の存在が見えない、仮に好きになっても簡単に口説くことができない。これは歌舞伎の頃からの伝統だそうで、「勧進帳」の弁慶などもこのタイプです。しかし、ラブシーンが観たい観客の要望に応えるため、二枚目という容姿が美しくて少々たよりない、心中ものの主役の男のようなタイプにラブシーンをさせたのです(今でいえばキムタクのような)。
高倉健は、任侠映画ではいつも寡黙で、軽挙妄動しようとする子分をぐっと抑えるような思慮分別もありますが、最後の戦いのシーンでは胸のすくような強さを見せました。
敗戦後、西洋の価値観を押しつけられて、何かわりきれない気持ちを抱いていた日本人は、伝統的な日本のヒーローを演じた高倉健にとても共感を覚えたのです。やがて、任侠映画のブームが終わって、時代は「仁義なき戦い」の実録ものと呼ばれる極道の汚い部分もリアルに描きだす映画の時代になり、高倉健はヤクザ映画の次に出演する映画を模索します。
彼のキャラクターは強くてカッコいいけど、決して女性に告白することはできない。そんな不器用な男の恋愛を描くとどうなるか、その答えが「幸せの黄色いハンカチ」という作品だそうです。高倉健はこの映画で見事にヤクザ映画から転身を果たしました、しかも従来の彼のキャラクターを生かしたまま。
この「女性を口説けない」という日本文化は男性にとって大問題だと佐藤忠男さんは言っておられました。
私も、西洋の映画の女性にもてるヒーローより、昔の日本映画や香港のジョン・ウー監督の映画などに出てくる、強くて義理人情に厚くて少し影のある、女性に縁のなさそうなヒーローが好きなんですね。男は黙って背中で語る、みたいな健さんにひかれるのが我々日本人ですから、これはもうしょうがない(笑)。
私は香港映画が好きですが、きっと中華的なものにひかれてるわけじゃなくて、同じアジア人に通じる精神が根底にあるからだと思いますね。
以上は、佐藤忠男氏の講演「高倉健と日本映画」の一部を記憶をもとに再構成したものです。詳しいメモはとっていませんので、解釈に間違いなどあるかと思いますがご了承ください。
『うさちゃさんの文章によせて』
- 歌舞伎の弁慶 -
あじ塩
歌舞伎の世界では、弁慶にもちゃーんと女がいるんですよ〜(笑)
『御所桜堀川夜討』という作品のなかに『弁慶上使』という場があります。
弁慶の恋は生涯ただ一度。
義経は平家の一門の娘を正室に迎えたので、それを謀反の疑いととられて、頼朝から正室の首を差し出すように言われ、弁慶がその上使として正室のいる乳人侍従太郎の館におもむきます。
太郎が正室の身替りにと選んだのが腰元信夫(しのぶ)。そのとき、信夫の母のおわさが、「この娘は17年前に名も知らぬ男と契って出来た子だから、父に逢わせるまでは許してくれ」と懇願します。その証拠にと片肌を脱ぐと、目にも鮮やかな緋縮緬に筆と硯の模様の片袖だけを着ています。そして弁慶も同じ模様のもう片方の袖を着ているんです。17年前の月待の夜、闇の中で別れる時に互いに引き合った証拠の片袖づつを、17年間肌身離さず持っていたのでした・・・
信夫こそ17年前に弁慶とおわさの契りで生まれた娘。そうと知りつつ弁慶はふすまごしに信夫を斬ります。
文字にすると、ちょっと目がうるうるしそうな物語なんですけど。でも、舞台写真で見ると、弁慶は巨大なカツラに荒事のおどろおどろしい(ちょっとサルみたいな)隈取をしています。そのごっつい顔で一生一度の恋を語る、そのミスマッチがおもしろいんだ、という主旨のことを渡辺保さんが解説されていました。
(あらすじは渡辺保『歌舞伎手帖』、荒俣宏『歌舞伎キャラクター事典』を参照しました)
『勧進帳』の弁慶はけっこう雄弁家ですから(笑)、意外と女性を口説けるのかも。でも、やっぱり「男は黙って背中で語る」というの、かっこいいですよね。
【追記】
『勧進帳』の中で、弁慶が舞を舞う時に唄われる長唄に、こんな文句がありました。「今は昔の語り草、あら恥ずかしの我が心、一度まみえし女さへ、迷ひの道の関越えて、今また爰に越えかぬる、人目の関のやるせなや、アヽ、悟られぬこそ浮世なれ。」弁慶、自分でも「女がいたんだ」 と言ってますね。ちゃんと口説いたんでしょうか(笑)

『ぼくの神さま』

春声@
『ぼくの神さま』EDGES OF THE LORD 2001年 アメリカ 98分 カラー ビスタ
監督・脚本:ユレク・ボガエヴィッチ
出演:ハーレイ・ジョエル・オスメント ウィレム・デフォー リアム・ヘス
リチャード・バーネル オラフ・ルバスゼンコ
配給:ギャガ・コミュニケーションズ
Solaria2にて 2002-12-16
−−ネタバレを含みますので、了解願います−−
この映画のことを知りませんでした。封切り上映は夏頃シネコン系統のみで短期間。公開の時、ある会員さんが”要チェック”と言って教えてくれていた映画。
12月に再映されてよかった。ハーリー・J・オスメントが出演していると聞いてびっくり。この映画はボーランド。オスメントはアメリカ映画での少年俳優だとばかり思っていたからです。『シックス・センス』の印象が強く残っている繊細な感じの少年です。
監督はポーランド出身ですが、アメリカ国籍。この映画、製作国はアメリカ。従って言語も英語。子役としてはオスメントもいいけど、彼がユダヤ人の身分を秘して身を寄せることになる、とあるポーランドの農家の2人兄弟のうち弟役を演じる少年が非常にいいです。
第2次大戦初期にポーランドにナチスドイツが侵攻していった時、ポーランドの田舎の人々がいかに心理的に、実際上にも苦難を受けたかを、少年たちの姿をかりて描いた物語。身辺に迫る過酷な状況に耐え兼ねての面が確実にあると思いました。少年の心理に病的な圧迫感を押し付けていったもの−−それは平和な時代であればあるいは起こり得べくもなかった心理・行動ではないのでしょうか。
自分の実の兄弟を”あれはぼくのお兄ちゃんではない”と公然と宣言して、知らない世界へ、死に至る道へと予感しつつも旅立っていく坊や。キリストの受難をわが身に再現せんとする意志をまざまざと表現するラストで、観ているほうは衝撃的です。
少々”あざとい話だなあ”と感じたのは一映画ファンとして偽らざる感想ですが。ヨーロッパにおけるキリスト教の伝統だとか、人の世で繰り返される闘争、戦争の問題なども考えさせてくれます。
今夜はキリスト降誕祭の夜。がらにもなくバッハの「マタイ受難曲」を聴いてみました。ドイツ語の横に日本語の対訳があるので、逐一それを参照していけば、どういう内容が音楽の中で進行・表現されているのか判ります。しんどいのは事実ですが、それをやるとコーラスやアリアのきれいさも実感として感じられることに気がつきました。
CD3枚組なので図書館から借りて聴いています。

『日本鬼子・リーベンクイズ』

春声@
『日本鬼子リーベンクイズ』2000年=RIBEN GUIZIは強烈でした。よくぞ14人の証言者を集めたものだと感服。
監督の松井稔は1947年生まれ。上智大学新聞学科卒。近代映画協で新藤兼人に師事。撮影が小栗謙一(日大芸術学部映画学科卒)この人は今年湯布院文化記録短編映画際にて新作『ABLE』の上映の際湯布院に来場してあった。若い監督です。”プログラムを参照しました”
素晴らしい記録映画ですね。衝撃度がすさまじい。14人は戦犯として終戦時中国の戦犯管理所にとどめられた。周恩来の”戦犯とても人間である。その人格を尊重せよ”との言から人道的処遇を受けのち日本に帰された。人間的良心に目覚めた彼らは、自らの罪行を認め、中国人民に謝罪した。
”聖戦の名のもとに銃を握らされ、中国・アジアの地を軍靴で踏みにじったのは私たちの祖父や父であった”との観点から製作され、世界に紹介された。反響は大きかった。虐殺・暴行・拷問・破壊・生体実験・化学細菌戦・強制連行など幾多の反人道的戦争犯罪を犯していた事実を自らの体験として証言したもの。
カメラは鮮明な大写しで彼らの顔を正面からとらえ、証言者もまた、ひるむことなく過去の事実を語っていく。全国各地に住む90〜80歳代の元皇軍兵士たち。贖罪の意識が無いならば、なにも語らなくてもいいわけだと思う。妻子のある人もいるし。驚きでした。”目をそむけたり、隠したりする態度こそが不快であり、恐ろしいことなのだ。それは再び同じ過ちを繰り返すことに繋がる。知らないこと、知ろうとしないことは罪悪である。”とする若いスタッフは真摯に記録を開始、今日私は、16ミリフィルムを通してそれを見る事が出来ました。太平洋戦史の歴史的解説も入ります。
元西独大統領ワイゼッカーが言った言葉”過去に目を閉ざすものは現在も見えなくなる。非人間的な行為を心に刻もうとしないものは、又そうした危険に陥る”がラストに字幕で映し出される。合同観賞として7人。(最近の合同鑑賞会としては多い方)感想会4人。

.

伊之助
私も久し振りに本日は映画を見ました。久し振りです。久し振りです。アメリカ映画は飽きてきたな−−−。
日本軍人の中国でしてきたこと、その告白映画です。だいたいの内容は予想してましたが−−私の感じたこと
1.靖国神社の8/15の様子を今回まざまざと見せられました。テレビ報道などで少しは見ていたのですが−−あの時代遅れの男達は一体何者だ−−。
2.中国でしてきたことをよく映画に出演して告白できたな−−自分の子供や家族がいるのに−−。確かに彼らは中国で裁判を受け一度自分たちのした非人間的行為を公にしているとはいえ−−誰も残虐行為を語らない。映画で言っていたが銃剣で突いたり焼き殺したりはまだ上官の命令だから公表できるが、強姦は自分の意志だから、そこまでは言う人はいない。
3.戦争になったら人間を殺すことも慣れてしまう。最初はとまどい躊躇するけれど−−虫けらと思ってしまう。
4.日本人は本当に無茶苦茶な残虐な人種だ−−中国でも同じ日本人に対しても、例え天皇制という教育があったとしても−−その血が我々にも流れているといつも自覚しておかなければならない。軍隊でも社会でも仲間はずれにされる−−ことに気をつかう。「いじめ」もそんな所がありますね。昔は、村八分。弱い者にはえらそぶる。
5.戦争後期には新聞報道でも結構日本の撤退が報道されていた。次次ぎと撤退し沖縄、広島、長崎、東京空襲と敗戦は間近に迫っていたのに、一億玉砕と竹槍練習していた。どうなっとるのか。日本が負けるとは思っていなかった、と思っていたらしいが、国を動かしている軍人はどう判断していたのだろう。野坂昭如が言っていたが、もっと早めに降伏していたら死者もまだ少なかったのに−−。
6.告白した人は確かに天皇制の教育を受け、上官の命令に従い、残虐行為をしてきた。最初は疑問に感じながら、人殺しに染まっていく。虫けらのように人を殺していった。非人間的人間であった。しかし、戦後過ちを認め繰り返してはならないと自分の恥部を公にしている。立ち直った人間になっている。現代でも悪いことを繰り返した人間、人殺しの人間、強姦し殺人を起こした人間。神戸殺人の中学生。彼らは死刑にされて当然だが、教育によっては、環境によっては人間性を取り戻せるのだろうか。殺人という罪に対しては極刑は当然であるが、人間性を取り戻せるのだろうか、人間というものは。あの戦争当時は誤った教育誤った価値観の世界でしたが−−。

【 8へ 】